赤沢自然休養林
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赤沢自然休養林は、長野県木曽郡上松町にある小川入国有林に位置しております。標高が1080~1558mで、面積は約760haあります。 赤沢自然休養林には、日本三大美林の一つである「木曽ヒノキ」を中心とした木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキ)が林立しており、春には新緑、夏には清流、秋には紅葉と季節を楽しめる場所となっています。また、森林浴発祥の地としても知られ、森林セラピーを体験することもできます。 |
Googleストリートビューで見てみよう
赤沢自然休養林には、全部で8つの散策コースがあります。そのうち、ふれあいの道、駒鳥コース、向山コース、中立コース、冷沢コース、上赤沢コースの6コースをGoogleストリートビューで見ることができます。
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園内図 ▶ (PDF : 275KB)
国有林おさんぽMAP ▶ (PDF : 809KB)
赤沢自然休養林の見どころ
1.森林鉄道記念館
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江戸時代から続く「河川を用いた木材運搬」を近代化し、大正5年(1916年)に小川森林鉄道が開通しました。その後、木材のトラック運送に切り替わるまでの約50年に渡り、森林鉄道は、木材運送や山村に暮らす人々の足として活躍しました。 森林鉄道記念館では、実際に使われていたアメリカ製蒸気機関車(ボールドウィン)や森林鉄道の歴史的資料、写真等をご覧いただけます。 また、隣の森林鉄道乗場から、当時、実際に使われていた森林鉄道に乗って、赤沢自然休養林内を周遊できます。 |
2.床堰
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山深い木曽谷は、木材を効率よく運び出すために、木曽川支流・本流の流送による独特の木曽式伐木運材法が編み出されました。江戸時代に生まれたこの技術は、明治44年(1911年)に鉄道運送が始まるまでの300年以上の間にわたって伝えられてきました。 床堰は小沢に堰(ダム)を作り、水を溜めた後に、堰の一部をこわし、水と木材を一気に流し出し、下流へと木材を運び出す施設です。現在見られるのは「床堰」の基礎の一部です。木曽川の支流から本流まで運び出すことを小谷狩(こたにがり)といい、その小谷狩の最上流部に造られたのが床堰です。 |
3.昭和60年伊勢神宮御神木伐採跡地
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木曽のヒノキは江戸時代から、伊勢神宮の御用材として使われてきました。 伊勢神宮では、20年毎に神宮の建物や調度品を造りかえ、新しく清浄な神殿に神様のお遷りを願う式年遷宮があります。式年遷宮は、約1,300年前、天武天皇が定められ、持統天皇の時代である690年に第一回が行われました。 昭和60年(1985年)に行われた「御杣始祭」は、式年遷宮の祭典の一つで、伊勢神宮の御神体を安置する器を造る、御樋代木を伐採する儀式です。 御樋代木は、三つ紐伐りという古くから伝統的に受け継がれている方法で切り倒されます。 |
4.冷沢峠天然林
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冷沢峠は、赤沢自然休養林内の中でも最も美しい樹齢約300年の木曽ヒノキの天然林が広がっています。下層には、シロモジやマルバノキといった広葉樹が生育しており、秋になると紅葉が綺麗です。 |
5.ひのき大樹
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明治39年(1906年)から約40年間、木曽谷は、神宮備林として、伊勢神宮の造営のための木曽ヒノキ供給を目的とした地域に指定されていました。その時代に、直径60cm以上の形質優良な木曽ヒノキを「大樹」として、台帳に載せて管理していました。大樹は木曽谷全体で18,000本、赤沢では約2,700本登録されていました。 この大樹は、太く形質も良いことから赤沢の中でもトップクラスに入る素晴らしい木です。 |
6.チェンソー導入の地
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赤沢は昭和15年(1940年)に日本で最初にチェンソー(自動鋸)を導入し、試験伐りを行った場所です。 当時実験に用いたチェンソーは、米国マッカラー社製のもので、形が大きく重量もあり、操作上幾多の難点が認められ実用には不向きでした。昭和24年(1949年)には国産のチェンソーを採用し、この場所で試験伐りを行いましたが、依然能率的効果をあげるまでには至りませんでした。その後、昭和27年(1952年)に米国マッカラーチェンソー(3-25型)を導入してから、本格的に実用化できるようになりました。 赤沢自然休養林内の森林資料館には、昭和30年代のチェンソーが展示されています。 |
7.森林資料館
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森林資料館では、木曽独自に作られた木曽式伐木運材法や近代化の象徴だった森林鉄道、チェンソーの導入等、林業の歴史を資料や写真で見ることができます。また、木曽五木や赤沢に生息する動物等もご覧いただけます。 |
8.姫宮伝説
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赤沢自然休養林に行く途中に、姫淵という場所があります。 今から約800年前、安徳天皇の時代、源平の戦いがあり、宇治の戦に敗れた似仁王の姫君は、平家の追手を逃れて京都から美濃を経て木曽路に来られました。 姫君は、島部落で発見されて麻畑に身を隠していましたが、村人は後難を恐れてかくまってくれませんでした。西に進み、高倉峠を越えましたが、すぐに追われとうとう姫淵までたどり着きました。しかし、追手から逃れるすべもなく自らこの淵に身を投げてしまった、という悲しい伝説があります。 その後、島部落では麻が生育しないようになったとか、夕暮れ時に淵のそばを通ると美しい姫を木々の間に見ることがあったので里人が祠を建てて姫を供養した、などの話があります。 |
アクセス
- 中央自動車道塩尻I.C.より上松町経由で90分。
- 中央自動車道中津川I.C.より約90分。
- 中央自動車道伊那I.C.より約90分。
- JR中央本線上松駅より片道約15キロメートルで車で約40分。(バス1,200円、タクシー約4,600円)
お問合せ先
木曽森林管理署
担当者:総括事務管理官
ダイヤルイン:0264-52-2083
FAX番号:0264-52-2582